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ポーランド化の始まり

ゲジミナス大公の死後、その息子であるアルギルダスとケストゥーティスという2人の兄弟によってリトアニアは統治されます。アルギルダスにはヨガイラ、ケストゥーティスにはヴィタウタス、という息子がおりましたが、アルギルダスの死後、ヨガイラは、ケストゥーティス&ヴィタウタス親子と対立し、2人を城に幽閉した挙句、ケストゥーティスを殺害します。

当時の欧州情勢を考慮した結果、リトアニアの外交的地位を高めるにはキリスト教を受容するほか無いと判断したヨガイラ大公は、隣国ポーランドからカトリックを受け入れることを決断します。1386年にポーランド王女ヤドヴィガと結婚し、ポーランド王も兼ねることになったヨガイラは、自ら洗礼を受けました。こうして、1387年、リトアニアは西部ジェマイティヤ地方を除いて、正式にキリスト教化されました。これ以後、ヨガイラの血を引くヨガイラ王朝の人物はポーランドとリトアニア両国の君主を兼ねるようになります。中世ヨーロッパの政治体系に汲みこまれたリトアニアですが、これはポーランド化の第1歩でもありました。

ヴィタウタス大公

一方、ヨガイラのいとこにあたるヴィタウタスは、幽閉先からの脱出に成功し、一時ドイツ騎士団の力を借りるなど、巧に当時の政治状況を読みながら、国内の支持基盤を固め、力をつけていきました。モスクワ大公ワシーリー1世に娘ソフィヤを嫁がせ、モスクワとの関係を強化することで、リトアニア国内に住むスラブ系住民に対する影響力も強化していきました。このような状況の中、ヴィタウタスとの争いなど、リトアニア事情にのめり込むヨガイラに対し、ポーランド貴族の不満が噴出します。これらの状況を鑑み、1392年、ヨガイラとヴィタウタスは和解し、ヴィタウタスは念願であった「リトアニア大公」の称号を手にし、リトアニアの統治を委任されたのです。

ヴィタウタス大公の時代は、リトアニアが最も繁栄し、強かった時代であると言われています。北はバルト海から南は黒海に至る領土を誇る欧州きっての大国にまでのしあがり、1410年のジャリギリスの戦い(タンネンベルグの戦い)では、ドイツ騎士団相手に歴史的な大勝利をおさめました。また、彼の統治期に、西部ジェマイティヤ地方も洗礼を受け、リトアニア全土がキリスト教化されました。

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