トラカイ
リトアニアの古都トラカイは、ビリニュスの西28kmに位置する、面積11.52km2、人口約5700人の小さな町です(注)。この小さな町には、リトアニア人、ポーランド人、ロシア人、カライム人、タタール人など実に多くの民族が暮らしています。

ガルヴェス湖
トラカイ市は、ルーコス(ベルナルディヌ)湖(Lukos(Bernardinų))、トトーリシュキュ湖(Totoriškių) ガルヴェス湖(Galvės)、アクメノス湖(Akmenos)、ギルショ湖(Gilušio)という5つの湖に囲まれた細長い半島の上に造られた町であり、「水の都」とも呼ばれています。
トラカイに町が形成されたのは13世紀のことでした。年代記によると、ゲディミナス大公が、狩猟の帰りに、当時の首都ケルナヴェから遠くないこの美しいトラカイの地を見て、すっかり魅了され、築城の命を下したとされています。この城は現在「旧トラカイ村」と呼ばれる地区に建てられたのですが、1391年、十字軍との戦いで崩壊してしまいました。その後、ゲディミナス大公の息子ケストゥーティスによって新しい城(現在の「トラカイ城(Trakų pilis)」)が建てられました。こうして城としての機能を失った旧トラカイ城は、その後再建されることはありませんでした。なお、この旧トラカイ城は、1350年にヴィタウタス大公が生まれた城とされています。

トラカイを愛した
ヴィタウタス大公
1337年、トラカイは、初めてドイツの年代記に登場します。この年は、町の公式な建都年とされています。1323年、ゲディミナス大公が首都をトラカイからビリニュスに移した後は、トラカイは息子のケストゥーティスに引き継がれました。そして、現在の「トラカイ城」が築城されたのです。その後、ヴィタウタス大公の時代になると、トラカイはリトアニア大公国の政治・行政の中心地として栄えることになります。城も完成し、カトリックの教会も造られました。当時からトラカイは、カライム人、タタール人、リトアニア人、ロシア人、ポーランド人が居住する多民族都市として発展しました。キリスト教徒とカライム人たちは、マグデブルグ法に基づく自治権を与えられていました。
16世紀に入ると、トラカイは政治都市としての機能を失い、経済的にもダメージを受けます。17世紀には、ロシアとの戦争により、町は荒廃し、城も崩壊しました。その後、長いことトラカイ城が再建されることはなく、20世紀後半になって、ようやく修復作業が始まりました。1962年には、城は歴史博物館として機能するようになり、今日に至っています。夏場には場内で様々なイベントやコンサートが行われ、多くの人々で賑わいます。
トラカイ文化の担い手として重要な役目を果たしているのがカライム人という、トルコ語系の少数民族です。14世紀末に、クリミアに遠征したヴィタウタス大公が、大公の護衛と城の警備のため、トラカイに連れてきました。ヴィタウタス大公は、カライム人に対し、奉公の見返りとして、ある程度の自治権を与え、彼等の文化を尊重しました。そのおかげで、現在もトラカイでは、独特のカライム文化を目にすることが出来ます。

カライズムの礼拝所「キエネサ」
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カライム人の宗教は「カライズム」、もしくは「ユダヤ教カライ派」と言われるもので、旧約聖書のみを信仰し、かつイスラム教の影響を強く受けた独自のものです。トラカイ市内にはカライズムの礼拝所である「キエネサ(Kenesa)」がありますが、ここは第2次世界大戦後、ヨーロッパで唯一閉鎖されなかったカライズムの礼拝所です。
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カライム人の伝統的な家屋
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カライム人の家屋もまた独特です。彼らの木造の家屋は、家の玄関ではなく、側面が通りに面しているのが特徴です。側面の壁には3つの窓があり、それぞれ、「神」、「ヴィタウタス大公」、そして「自分の家族」を表現しています。
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おいしいキビナイのお店として有名な
「キビニネ」(カライム通り65番地)
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彼等の伝統的な民族料理に「キビナイ(Kibinai)」という、かまどで焼いた羊肉のパイがあります。今では、リトアニア各地で食することのできるKibinaiですが、せっかくですから、カライム文化が色濃く残るトラカイで食されてみてはいかがでしょうか?
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聖ヨハネ・ネポムックの
塔型チャペル
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トラカイの守護神、聖ヨハネ・ネポムックの塔型チャペルです。17世紀に造られました。チャペルが建てられているこの場所は、中世トラカイの市民が集う中心地でした。週に一度、市場が開かれ、市庁舎、教会、郵便局があったと言われています。現在、この場所には、国立歴史公園の管理局があります。
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トラカイ城
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ヴィタウタス大公は、トラカイを生涯こよなく愛していたと言われています。1430年に亡くなったのも、トラカイ城でした。
まるで湖に浮かんでいるように見えるこの美しい城は、トラカイのシンボルになっています。当時、十字軍の流れを汲む、ドイツ騎士団からの侵攻を受けていたリトアニアにとって、城は大公の住居としてだけではなく、要塞としての役割も果たしており、トラカイ城はリトアニアにおける要塞建築の傑作とも言われています。
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