パランガ
バルト海に面したリトアニア最大のリゾート地パランガは、『海の街』としてだけではなく、琥珀博物館や植物園、聖マリア教会などの見所も備えた観光都市としての顔も持ち合わせています。

聖マリア昇天教会
バルト海は、古くよりリトアニアの人々にとって欠くことのできない存在でした。そのため、リトアニアの民話の中には、海にまつわる話が数多く登場します。中でも有名な、海の女神ユーラテと漁師カスティーティスの悲恋の物語をご紹介します。
その昔、自然の神々の中でも、雷神ペルクーナスが最高位の神として君臨していた時代のこと。美しき海の女神ユーラテはバルト海の海底にある琥珀の宮殿に住んでいました。ある日のこと、勇敢な漁師カスティーティスが海に網を張りました。ユーラテは、海の平穏を乱すこの行為を止め、魚をこれ以上採らないよう、人魚を使いに出してカスティーティスに忠告しましたが、聞き入れられることはありませんでした。「一体どこの誰が、海の女神である私の言葉を無視することができようか!」ユーラテは、自ら海面へと出向きました。ところが、カスティーティスの姿を目にしたユーラテは、その美しさと勇敢さに心を打たれ、一目で恋に落ちてしまったのです。それはカスティーティスも同様でした。そして、二人は海底にある琥珀の宮殿で共に暮らすようになったのです。女神が人間の男に恋をしたことに激怒した最高神ペルクーナスは、稲妻を起こし、琥珀の宮殿を破壊しました。宮殿は倒壊し、カスティーティスは死に、ユーラテは海底に残された宮殿跡に鎖で繋がれました。パランガの海岸に落ちている琥珀。大きなものは、壊された宮殿の琥珀の破片を、ユーラテに同情した海の波が海岸まで運んだもの、そして小さなものは、ユーラテの涙と言われています。そのピュアで透明な輝きは、ユーラテとカスティーティスの愛そのものなのです。
パランガも、他のリトアニアの都市同様に、外国勢力による侵略を度々受けてきました。バイキングの侵略、そして13世紀から14世紀にかけては、再三にわたって十字軍の攻撃を受けましたが、1410年のジャリギリスの戦いにてリトアニアが歴史的大勝利をおさめ、メルン講和条約(1422年)が締結された後は、十字軍による攻撃は止み、1435年のブレスト講和条約によりパランガはリトアニアに帰属しました。
13世紀から18世紀のパランガの住民は、主に漁業や琥珀、蜂蜜、毛皮貿易で生計を立てていました。18世紀のパランガは、リガやリエパヤに並ぶ活気に溢れた港町でした。1795年の第3次ポーランド分割後は、ロシア帝国の一部として扱われるようになりました。1824年にミコラス・ティシュケヴィチュス大佐がパランガの地を購入した後には、公園や宮殿、保養施設、教会等が造られました。1863年の反ロシア蜂起後にリトアニア語の出版物が禁じられた際には、パランガは「本の運び屋(knygnešiai)」の通り道になりました。第一次世界大戦後の1918年、リトアニアは独立国家となりましたが、パランガの帰属に関してはリトアニアとラトビアの間で論争が起こりました。そして、1921年になってようやくパランガは正式にリトアニア領となったのです。
今日では、リゾート地として開発されているパランガ。その見所を幾つか紹介したいと思います。
◆パランガ植物園(Palangos botanikos parkas)◆
1895-1898年にかけてフェリクサス・ティシュケヴィチュス伯爵が造ったパランガ植物園は、園内に琥珀博物館や礼拝堂、彫刻など数々の見所をも揃えた公園となっています。
― 琥珀博物館(Gintaro muziejus)―
1897年に建てられたフェリクサス・ティシュケヴィチュス伯爵邸の建物を利用して、1963年に開館された琥珀博物館には、29000点余りの琥珀が保管されています。そのうち、実際に展示されているものは約4500点で、展示品は毎年入れ替えられます。

琥珀博物館
開館時間:
9月1日―5月30日
火曜―土曜 11:00~17:00
日曜及び祝祭日の前日 11:00~16:00
6月1日―8月31日
火曜―土曜 10:00~20:00
日曜及び祝祭日の前日 10:00~19:00
休館日:月曜、祝祭日 / 入館料:5リタス
ビルーテの丘礼拝堂(Birutės kalno koplyčia)

ビルーテの丘礼拝堂
ケストゥーティス大公の妻であり、ヴィタウタス大公の母であるビルーテ大公妃の名を冠した丘の上に静かに佇むこの礼拝堂は、1869年に建てられました。この煉瓦造りの礼拝堂が建てられる以前には、この場所に木製の聖ユルギス礼拝堂がありましたが、一度は火事で焼失し、再建後には嵐で再び倒壊してしまいました。その後、現在の礼拝堂が造られるまでの間、丘の上には大きな十字架が建っていました。異教時代にまで遡ると、同地には、原始天文観測所と漁業・農業の成功を祈る祭壇があったそうです。

パランガのルルド
パランガのルルド(Palangos Lurdas)
ビルーテの丘の斜面の木陰に造られた『パランガのルルド』は、冷え冷えとしていて神秘的な雰囲気を醸し出しています。ルルドは、公園創設者フェリクサス・ティシュケヴィチュスの妻アンタニーナの勧めで造られました。使用されている岩石は全て天然のもので、正面右側のくぼみ部分には聖マリア像が安置されています。以前はここで祈りを捧げる人や宗教儀式が行われるなどしましたが、ソビエト時代には、聖マリア像が撤去され、ルルド周辺では詩の朗読会が開かれるなどしていました。

ロトンダ
ロトンダ(Rotonda)
フェリクサス・ティシュケヴィチュス伯爵の時代には、このロトンダでは、連日のようにパランガやその他の都市からやってきた音楽家によるコンサートが開かれていました。その後、この伝統は途絶えてしまいましたが、現在では、毎夏同地でコンサートが開かれ、数多くの観光客が訪れます。
◆聖マリア昇天教会◆
1897―1906年にかけて造られたこのネオゴシック様式のカトリック教会は、スウェーデン人建築家Strandmanの設計に基づいて建てられました。76mの高さを誇るこの教会は今日のパランガでも、最も背の高い建築物とされています。教会建築に費やされた費用の3分の1はティシュケヴィチュス伯爵が寄付をしました。
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