リトアニアの歴史
ソビエト連邦の支配下にあったことが記憶に新しいリトアニア。
その長い歴史を見ても、ポーランド、ロシア帝国といった近隣諸国による支配が繰り返されてきたためか、「リトアニアの歴史」に対して悲壮なイメージを抱く方も多いようです。
しかし、過去には、度重なる十字軍からの攻撃を撃破し、北はバルト海から南は黒海に至るまでの領土を誇る欧州の大国として名を馳せ、繁栄した時代もありました。
そんなリトアニアの歴史を簡単にご紹介したいと思います。 歴史第1章へ進む →
| リトアニアの歴史(年表) | |
|---|---|
| 1236年 | ミンダウガス大公がリトアニアを統合 |
| 1253年 | ミンダウガス国王戴冠 |
| 1323年 | ビリニュスがリトアニア大公国の首都として初めて記録に登場する。 |
| 1387年 | リトアニア正式にキリスト教を受容。(ミンダウガス国王の時代に、リトアニアはキリスト教を一度受容しているものの、同国王の死後、再び異教が復活していることから、リトアニアの正式なキリスト教受容年は1387年とされている。) |
| 1529年 | 「リトアニア国法」が策定され、リトアニアは中央ヨーロッパで初めて国法を制定した国となる。 |
| 1569年 | リトアニア・ポーランド連合国家成立。(~1795年) |
| 1791年 | 初の憲法採択。 |
| 1795年 | 第3次ポーランド分割により、リトアニアがロシア帝国領に。 |
| 1831年 | 第1回反ロシア蜂起。 |
| 1864年 | 第2回反ロシア蜂起。蜂起は抑圧され、その後、リトアニア語のキリル文字による表記が強制されるなど、ロシア化政策が教化される。そこで、プロシアが、ラテン文字によるリトアニア語の本の出版の中心地となる。 |
| 1904年 | リトアニア語のラテン文字による表記禁止令が解禁。リトアニアの独立に向けた、民族・文化運動が活発化する。 |
| 1905年 | ビリニュス大会議が開催され、ロシアに対し、リトアニアの自治権を要求する決議が採択される。 |
| 1918年 2月16日 |
独立宣言 |
| 1919年 | アンタナス・スメトナが初代大統領に就任。 |
| 1920年 | リトアニア議会が選出され、リトアニア民主主義共和国を宣言。 |
| 1922年 | アレクサンドラス・ストゥルギンスキスが大統領に選出される。 |
| 1926年 | カジス・グリニュスが大統領に選出されるが、6ヶ月後、クーデターにより辞任を余儀なくされる。その後、アンタナス・スメトナが再び大統領に選出され、以後、大統領による独裁体制が敷かれることになる。 |
| 1939年 | 第2次世界大戦の勃発により、リトアニアはナチス・ドイツおよびソビエト連邦により占領される。 |
| 1990年 3月11日 |
リトアニア最高議会がソビエト連邦からの独立を宣言。 |
| 1992年 | 憲法制定。 |
| 1993年 | アルギルダス・ブラザウスカスがリトアニア共和国大統領に就任。 |
| 1998年 | ヴァルダス・アダムクスがリトアニア共和国大統領に就任。 |
| 2003年 | ロランダス・パクサスが大統領に就任するが、翌年、汚職により罷免される。その後、パウラウスカス議会議長が大統領代行を務める。 |
| 2004年 | NATOおよびEUへ加盟。ヴァルダス・アダムクスが再び大統領に選出される |
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